ホーム > 鈴木青宵について > 孤篷庵と私

孤篷庵と私


日本の美の源流の一つ「茶の湯」。この茶の湯を育てた京都大徳寺所蔵の名品群から「力」を膚で感じ、受けとめ、作陶しています。

孤篷庵第十八世小堀卓巖御老師(現在大徳寺世譜五二五世)の下で銘品の持つ力や、醸し出す深い世界に触れさせて頂くと言う勉強をさせていただいています。初めの頃を振り返れば、何百年前から大切に扱われて来たお茶碗でお抹茶を頂いた時には、ただただ凄い凄いと思うだけで、何をどう見て良いのやら…拝見している格好でしかありませんでした。 御老師より、徐々に拝見の仕方を学んで行きました。一期一会の真剣勝負、視覚による技法、古の工人の気持ちや思い。五感を通して、手に憶え込ませることが 、少しづつ出来るようになって行きました。

美術館の名品も硝子越しからでも 「手に取った気持ちで視る」と教わりました。訓練訓練です。硝子越しの作品をいろんな角度から視る(想像するのです)硝子越しのお茶碗で一服飲んでみます。(イメージです)

●孤篷庵について

大徳寺山内にある孤篷庵は、小堀遠州が自ら作った菩提寺です。

遠州が江月宗玩(こうげつそうがん)を開基に迎え、この寺を創建したのは慶長17年(1612)34歳の時。はじめは同山内の龍光院内に作られたが、敷地が限られていたため、65歳で現在地に建て直しました。

孤篷庵の茶室「忘筌(ぼうせん)」や書院「直入軒(じきにゅうけん)」、そして庭には建築・作庭の名手だった遠州の実力が発揮されています。

門前の石橋の手摺石にほどこされた櫛形意匠、自然石と切石を巧みに配しながら真っ直ぐに奥へと続く延段、そこからすでに「綺麗さび」と呼ばれる遠州の世界が始まっています。「孤篷」とは、遠州が大徳寺の111代住職・春屋宗園(しゅんおくそうえん)から授かった道号のひとつで、“一艘の苫舟という意味。この号には「扁舟雨を聴いて、蘆萩(ろてい)の間に漂う。天もし吹き霽(は)らさば、あわせて青山を看るべし」という偈(げ)が添えられていました。

遠州はこの菩提寺に、故郷の琵琶湖に浮かぶ小舟の風景を託したと言われています。

舟窓に見える石燈籠は、古田織部の寄せ燈籠があり、狩野探幽74歳の画や不昧(ふまい)公の茶室、お墓があります。

大井戸茶碗 銘喜左衛門 (国宝)

室町以後に渡米した朝鮮産の茶碗のうちで、もっとも貴ばれ、高麗茶碗の王者とされている。

参考文献) 週刊古寺をゆく「大徳寺」 / 芸術新潮「特集 謎の達人 小堀遠州」(1996・2)